itoさんの生活。with社交不安症#7〜大学生期①〜
こんにちは。
今回からは大学生期のitoさんと社交不安障害との生活について振り返ります。
たぶん、長々となるので、とりあえず①として書けるとこまで書こうと思います。
大学生に入学する頃、我が家の家計が苦しくなってきたこともあり、わたしは奨学金も受けながらバイトをして大学に通っていました。
でもまぁ、これくらいの方ならたくさんいますよね。
バイトは掛け持ちで多い時は3つとかしてましたかね。
飲食店と塾講師と家庭教師、派遣バイトみたいなのもやりました。
でも、バイト代は自分のお小遣いにもなるので、嫌々やってたわけではありませんでした。
ただ、やっぱりというかここでも社交不安障害の症状は悩みましたね。
飲食店だと「いらっしゃいませ」とか、オーダーを通すときの決まってる言葉、そういうのが頭の中でこう言わなきゃって占めてて、声が詰まってしまって、何言ってんのかって「えっ?」って反応を返される…
塾や家庭教師だと、より人との距離が近いし、静かな空間で喋ることが余計に緊張感をあおり、すごく声に注目されているような気持ちになってしまってさらに声を詰まらせたり震わせてしまうってこともしょっちゅうでした。
その度に笑って誤魔化すけど、内心怖くて怖くて心の中はブルブル震えているようでした。
いつも肩に力が入ってしまって、肩もよく凝りました。
そういうのが辛くて、ここは合わないなと早く見切りをつけて辞めたバイトもあります。
でも、根本が負けず嫌いの性格もあり、運良くバイト先の人たちに恵まれたこともあり、大概のバイト先は長く働くことができました。
大学生活については、大学1年生の時に同じ科の友達が何人かでき固定したグループにって4年間よく一緒に過ごしました。
その子たちとは長く一緒にいたので、なんとなくちょっとそういう症状があるなとはバレてたと思います。
でも、誰も直接触れてきませんでした。それでも変な顔せず付き合っててくれました。
わたしが苦手だった遊びに、カラオケがあるのですが、友達付き合いとしてよくカラオケにもいきました。
吃音の方は歌では声がどもらないと聞きますが、わたしは吃音ではないからかカラオケでもやっぱり声が詰まりました。
歌わないとノリが悪いと思われるかなと思って歌うんですが、やっぱり震えたりしないように声に集中しちゃうので、歌うことを楽しめることはなかったです。
外見は楽しそうにはしてましたけどね。
それもまた苦痛でした。
でも、友達のことは大好きだし、一緒にいたかったので我慢すればいいやと思って付き合ってました。
授業では、コンパクトな部屋で行われる授業や100人くらいの規模で行われる授業がありました。
どれも講義形式なものが多かったので、聞いてるだけのことが多かったのですが、たまーに100人規模の教室で当てられたりした時は心臓が飛び出そうでした。
そんな大衆の前で声が震えたり詰まってしまったら…そんなことを考えるだけで心が潰れそうでした。
だから、選択肢があるものは、なるべく聞くだけで良さそうな形式の授業を選びましたね。
それも学年が上がるごとに、ゼミとかが多くなって苦しくなるんですけどね。
ここまできても、まだわたしは自分の症状について病院で診てもらっていなかったし、自分でしっかり知ろうともしていませんでした。
嫌だな嫌だな、恥ずかしい、なんでわたしだけ…
そんな気持ちで泣けてくる日もありました。
周りのみんながなんの苦労もなく楽しく喋ったり歌ったり、授業の内容のことだけに集中して授業を受けられてるように見えて、羨ましいとかいうか恨めしい感情に近いものを持ってしまうこともありました。
そんな醜い心をもつ自分にまた自己嫌悪する。
すべてはこの声の震えのせいだ。
こういう気持ちがグルグル心をかき乱す。
そんな日もありました。
もっと誰かに相談したり、周りを頼れたら良かったんですけどね。
なんて言うか、向き合うことがめんどくさいとか怖いとかってことじゃなくて、まだ自分のメンタル次第だと思うところがあった気がします。
心を落ち着かせられればいつか良くなる。
声に意識が向きそうになったら、どっかちがうことに意識を向けるようにする。
みたいな回避策を気休めのように考えてました。
半分はそれで良くなればいいなと期待し、半分はそんなんでこんなに長く苦しんだ症状が簡単に無くなるわけないと思っていました。
そんななんだかもどかしい気持ちを抱えながらも、遊びにバイトに勉強に恋に忙しくして、社交不安障害の症状に向き合うことをうやむやにしてしまう日々を送ってしまっていたのでした。
さて、今回はこなへんで。
〜最近のitoさんの生活。〜
わたしには3人の子どもがいるのですが、1番上の子が小学生なので、来年度、ついに子ども会の役員が回ってくることになりました。
そんなに大した役では無いのですが、子どもたちの前だとしても何か話さなければいけない機会があったりしたら嫌だなってちょっと思っちゃう日々です。
でも、今までも他のママさんたちが役員をやってきてくれてたのだから、順番とはいえわたしも力になりたいし、頑張りたいと思います。
元々は役目をもらって人のために動くことは好きな性格なので、ほんと、社交不安障害に症状がなかったら、もっと心が軽いのになと思わざるをえません。
とにかく来年度からの一年間、無事に全うできるように他の役員のママさんたちと楽しめたらなと思います。
#社交不安障害
#社交不安症
#社会不安
#緊張で声がふるえる
#声が詰まる
itoさんの生活。with社交不安症#6〜大学受験期から大学入学まで〜
こんにちは。
前回の#5で高校生期のitoさんを振り返りましたが、今回はあえて大学受験期から大学入学までを切り離して取り上げてみました。
というのも、この時が一番社交不安障害の症状が落ち着いていたからです。
なぜなんだろう。
でも、なんとなく分かってはいます。
わたしは、高校生になる前から大学に進学することも漠然と決めていました。
親からは国公立の大学しかダメだと言われていたので(長女長男のあるあるじゃない?)、それなりの受験勉強は必須。
もとからそんなに勉強は嫌いじゃないから(1人で没頭できるからね。)、べつに勉強することは苦になりませんでした。
わたしが受験勉強として本腰を入れ始めたのは高3になってから。
遅い方だったかもしれませんね。
勉強方法はとてもシンプルで、
学校終わりに市立図書館の自習スペースで閉館まで勉強→帰宅後、夕食やお風呂以外は勉強して午前0時には必ず布団に入る
というものでした。
塾は行かなかったのかって?
人前だと緊張する、不安感があるという症状の社交不安障害をもつわたしですから、人がたくさんいる塾に行きたいとは全く思いませんでした。
そういうのは学校だけでもう十分。
しかも、自分のペースで勉強できるし、自分の世界に没頭できるし、さっき言った勉強方法はいいことだらけだったと思ってます。
体に正直に、「あ、これやったらわたし勉強どころじゃないな」というものは避けて通りました。
放課後に教室で一緒に勉強しよって友達に誘われても、図書館いくわーって言って自分のペースは崩さない。
受験期だから、みんな人それぞれの勉強があるよねって理解してくれるし、それで角が立つこともありませんでした。それもありがたかったです。
そして、模擬試験やらテストやらで成果も出ていたので、自信にもつながりました。
だから、社交不安障害の症状も落ち着いていたんだと思います。
自分に自信が持てること。
自分の障害を理解し、無理をしないこと。
自分の世界に(好きなことに)没頭して、自己肯定感を高めること。
これが、良かったんではないでしょうか。
わたしの体験上の話ですので、あくまでもわたしにとっての感想ですが。
受験本番、前述した通り、第一希望は国立大学。
まず、センター試験(今は大学入学共通テストっていうんですね)を受けて、次に希望する大学の試験を受けました。
推薦は受けなかったのかって?
受けたい大学の推薦は、面接もありましたからね…勉強で勝負する方が気楽でした。(学力に自信があったわけでは決してございません。それだけ面接が嫌だったんです。選択の余地がなかったというわけです。)
結果、なんとか、希望する大学に合格することができました。
やり切ったと思いました。
こうしてわたしの大学受験期は終わりを迎えました。
わたしにとって必要だった「自信」。
それを持たせてくれた時期でした。
さて、こうして大学入学を迎えるわけですが、ここからが少し雲行きが怪しくなります。
その時はそんなこと思いもしませんでしたが。
ドラマで見るような自由でのびのびとした大学生活を思い描いてましたからね。
実は、このちょっと前から父親の仕事が上手くいかなくなり、だんだんと家計が苦しくなっていったのです。
それに伴い、わたしもバイトをして家計を応援しながら大学で勉強していました。
それでも、まだ大学2、3年生くらいまでは大学生活を楽しんでいたし、遊びも楽しめていましたかね。
そのあたりについてはまた次回で振り返りたいと思います。
では、今回も
〜ちょっと最近のitoさんの生活〜
#5から突然始めたこのコーナー。
今回で2回目です。
その#5では、最近メイクにハマってるという話をしたところですが、もう一つハマってることがあります。
それは、
ダイエットです。
笑
メイクにダイエットに…女子高校生か!
ちょっと言い訳させてもらいますと(別にいらんやろ)ですが、
最近、ほんっと顔のほうれい線だとか、足のたるみとか、筋肉の衰え?とかが気になるんですよね〜
そういえば、わたしメイクとか体型とか、おざなりにしてきたよな…
このまま、まぁいっかで済ましていいん?
え、ちょっと、とことんやってみてもいいんじゃない?
そういうYouTubeめっちゃいっぱいあるし、面白そうなのやっとるやん!
え、この人の元の顔コレで、メイクしたらこんなに変わるん?!
え、どうやってやった?!
え、どんな化粧品使ったらそうなる?!(興奮すると「え、」が多い)
おもしろ!
っていう感じです。(伝わるんか?)
さぁ、ハマってみてこの先どう行き着くか分かりませんけどね。
なんか楽しいって思えることがあると、やっぱちょっとしたことでも気分上がるしいいよねって思って、飽きるまでやってると思います。
もし、これを読んでくださっている方に、メイクやダイエット、特に下半身痩せのよい情報あったら教えてくださいね。
では、今回はこなへんで。
itoさんの生活。with社交不安症#5〜高校生期&ちょっと最近の話〜
こんにちは。
今日は社交不安障害を慢性化させて迎えた高校生の頃について振り返ってみます。
わたしは、#4でもお話しした通り、中3で転校したため、高校についていまいち情報が無く、家から自転車で通える近さで、まぁそれなりに進学校だし制服も可愛いしってことで、通っていた中学校の隣の高校に進学しました。
入学といえば新学期、新学期といえば自己紹介ですよね。
自己紹介、だいっっっきらいでした。
声が震えるのは必至。その上、順番が回ってくるまでのドキドキ感(決して楽しみなドキドキではない)頭のてっぺんまで振動するようなドキドキです。
順番が近くなるにつれて喉がカラカラ、生つばを何度も飲む。
しかも、いろんな場で自己紹介はしばらく続くのでほんと新学期はちょっと苦手でしたね。
それに、ちょっとズレますが、学校の先生って、よく席順とか出席番号順とか、なんかの順番で当てるの多くないですか?
それがほんともう苦手でした。
予測できちゃう時ほど意識が声に入ってしまうし、先に頭で考えちゃって上手くいかないっていうのがこの症状の傾向だなと思います。
でも、まぁアラフォーとなった今はその自己紹介がどんな結果になったかとかあんまり覚えが無いんですよね。たぶん、震えてたし、恥ずかしかったんだろうけど、なんかまぁしゃーないかって忘れようと出来てきたのもこの頃くらいからだったかなと思います。
もちろん、人前で声が震えたりして恥ずかしい思いをしたら、その日はしばらくそのことが頭から離れなくて、自己嫌悪を繰り返して繰り返してなんですけどね。
それはきっと、高校1年生で出会えた友達に恵まれたことも助けとなった気がします。
どんなわたしをみたとしても、普通に接してくれる。なんでもないことでふざけ合える。ほんと女子高校生らしいことを一緒に楽しめる友達がいたから、社交不安障害で自分にどんどん自信をなくしながらも、なんとか明るく生きたいともがく自分も認めることができていたと思います。
あと、中学生までとは違い義務教育でない分、やっぱりちょっといろいろ緩くなるところがあるじゃないですか。(曖昧すぎるわ!)
たとえば、授業の態度とか、声のボリュームとか、返事の仕方とか、校歌は口パクでも責められないとか。
一生懸命な人には怒られちゃうかもしれないですけど、でも、それがわたしが上手くバランスを保つためには必要な力の抜き方だったんです。
基本的には真面目な生徒でしたので、許してください。(誰によ)
とまぁ、こんな感じで、
避けられるとこは避ける。
決して目立とうとはしないこと。
調子のいい時は、わたし普通ですよ(声震えるなんてなんのこと?)アピールみたいなことをして平然を装う。
失敗したとて、自分さえ明るく気にしてないフリしてれば、周りも気にしなくなるだろうから、なんでもないフリしてよう。
そんな感じのマイルールみたいな意識してましたね。
わたしがわたしを保つための防御策みたいなものですかね。
そういうなんとか上手くやっていく小細工が上手くなってきた頃でしたね。
では、ここで。
〜ちょっと最近のitoさん。〜
数回ブログを書いてみて、過去のことを振り返るのと同時に、最近のitoさんについてもちょっと話したいなと思ったので、定番のコーナーみたいな感じで毎回ちょっと書いていけたらなと思ってます。
最近のitoさんはプロフィールにも書いてあるとおりアラフォーなんですが、ここ1年くらいで過去1でメイクにハマっています。
遅すぎだろ。
メイクにハマるっていうと、高校生とか大学生とかじゃん?ってイメージだと思うんですけど、わたしの高校生大学生期は、ほんと自己流の自己満メイクで、アイブロウしてまつ毛あげてマスカラ塗って、チーク塗って終わりでした。
ファンデは塗らない。日焼け止めも塗らないこと多々ある。アイシャドウも塗らない(アイラインはたまにひく)。リップもリップクリームのみ。
いま思えば、もったいなかったなー。
お肌にとっては負担が少なくて良かったかもだけど。日焼け止めは塗っといて欲しかった。
ま、そんな感じで、お気に入りのYouTubeチャンネルはメイク動画のチャンネル多しです。
では、今回はこなへんで。
itoさんの生活。with社交不安症#4〜中学生期〜
こんにちは。
今日は、社交不安障害と共に過ごした中学生期のことを振り返ります。
一言でいえば、「社交不安障害を本格的に定着させた時期」だったと思います。
思春期のアレやコレやに加えて、社交不安障害による声の震え、更には声の詰まり、ちょっと下品ではありますが、便秘でもないのにオナラが何度も何度も出てしまう、などの症状に振り回されていました。
もう声の震えは最悪です。
日直は授業前後の号令をかけるんですが、「礼」が「れぇぇえええ」みたいになる。先生も笑ってましたよ…泣
だんだんと、この言葉を言う時は震えるなとか、母音のイ音からア音またはオ音に繋がる言葉(例えば、イカとか家とか)は、口が強張るからか言いにくいなとか、そういうのが予測できるようになってきちゃうんですよね
だから、前持って「この言葉を言いたいけど、言うときに震えてしまうから、他の言い方にしないと」みたいなことを考えるわけですよ。
喋り方に思考が向きすぎて、悪循環でしたよね。
それから、中学生の頃って(わたしはですが)、女の子の嫌なところがよーく出てくる嫌な時期だったんですよ。いじめ、仲間はずれ、悪口、中身じゃなく外見に重きを置く見方?みたいな?
そんな荒波を社交不安障害も引き連れて乗り越えていくんですよ。ほんと嫌だった〜…
ストレス半端なかったですよね。
打ち明けられる人もいなかったわけだから、そりゃうまく吐き出せるわけもなく、溜め込みますわね。
そんなストレスの発散方法は、部活(ソフトテニス)に打ち込むことと、家に帰ってからはボーッとする時間や何かに没頭することでしたかね。
運動神経は悪くは無かったので、ソフトテニスの練習は好きでした。走り込みや土日の練習は嫌いでしたけど。
家での時間は、家族も中学生だから良い加減の距離加減で干渉しすぎず放っといてくれたので、1人でいたい時は部屋にこもって本読んだり、寝たり、音楽聴いたり。しゃべらずともいられる時間が楽でした。
休日は友達と遊ぶと言うよりは、家で気ままに過ごしていたい派でしたね。
中3になるとともに家の都合で転校したのですが、実は、転校できてラッキーだと思っていました。
だって、いままでの煩わしい友達関係とか、社交不安障害をさらけだしまくった環境をリセットできるわけですから。(治ったわけじゃ無いから、転校先でも症状は出るは出るんですけどね。)
1年間だけだし、友達という友達は出来なくてもいいやって割り切った気持ちでいったので、不思議と気楽でした。
そんな気持ちで行ったからか、実際はとてもよいクラスメイトが多く、穏やかな一年間でした。社交不安障害の症状はそりゃ出ましたが、なんとか誤魔化し誤魔化しやってました。(クラスメイトにはホント申し訳ないけど合唱は口パクだったし、号令は級長がやるシステムだったし、なんとかすりぬけてた気がします。)
部活は、すぐ引退だけどソフトテニスが好きだったのでソフトテニス部に入りましたが、途中からだからあんまり馴染めず、外部コーチのおじいちゃんに大きな声で挨拶しなくちゃいけない習慣もあって、入んなきゃ良かったと思いました…笑
そんな感じで、中学生期はもう社交不安障害もバッチバチで、苦しみもがきながらも誤魔化しながら駆け抜けた時期でした。
ただでさえ、いろんな葛藤の多い思春期。その上での社交不安障害。(まだこの頃は、社交不安障害だということを知りませんでしたがね。)
ちょっともうこの頃にだけは戻りたくないなと思っちゃいますね。
では、今回はこのへんで。
itoさんの生活。with社交不安症#3〜発症後の心情(小学生期)〜
こんにちは。
今回は、社交不安障害を発症してからの精神面や感情を振り返ってみたいと思います。
発症した当初は、単に緊張しすぎる時だけの症状、つまり、一時的なものとして捉えてだと思います。#2でお話ししたような全校集会の場でのこと以外に、記憶に残っていないからです。
ですが、結構早い段階でその症状が現れる範囲は広がり、学年末の発表会(劇)や卒業式の卒業証書授与の返事(名前を呼ばれたら返事をするだけのやつ)もすでに苦労していた記憶があります。
話の順番が前後しますが、わたしが児童会役員を務めていたのは前期(つまり、6年生の夏休み明けくらいまで)だったので、一年もかからずして人前でのあらゆる場面に症状は広がっていました。
その時の私の記憶に残っている感情ですが、
"なんとか緊張に気づかれずに上手くやりたい"
とか、
"声が震えたら恥ずかしい"
とか、
"なんでわたしだけこんなに震えちゃうの。あの子もあの子も普通に出来てるのになんでわたしだけこんなんなの"
とかでした。
よくよく振り返ってみれば、どれも第三者が自分をどう見ているのかを意識しすぎていた感情ばかりだったと思います。
その通り、わたしは幼い頃から人からどう思われるか、どうしたら褒められるか、気に入られるかを気にしている子でした。
これが後に、社交不安症を発症する人の特徴の一つであることを知るわけですが。
そんな潜在的に備わってしまっているようなもの、小学生のわたしが変えられることもなかったでしょう。
ただただ、この声が震える症状を隠し通すことにだけ必死だったように思います。
こうしてわたしは、皮肉にも自分の負けず嫌いな性格と第三者によく見られたいという見栄っ張りな感情とから社交不安障害の症状をじわじわと悪化させてしまっていたのでした。
そしてその悪化は、思春期に片足を突っ込み始めていた時期の私の心を締め付けることがどんどん多くなっていったのでした。
では、今回はこのへんで。
itoさんの生活。with社交不安症#2〜社交不安症の発症〜
わたしが社交不安障害を発症したのは、12歳のころだということは、#1でお話した通りですが、今回はそのとき何がどういうわけで発症に至ったのかを少し振り返ります。
といっても、私の場合、コレがきっかけ!っていうのを実はハッキリ覚えていないんです。
大人になってから、本気で悩み始めてから(それまでも悩んではいたんですけど)、思い返してみたらこうだったんじゃないかという話ですが…
12歳(小学6年生)の時、わたしは学校の児童会役員の副会長を務めていました。
それまでのわたしは、今と真逆で人前で話すことが得意な子でした。
それがなんで、というわけなんですが、児童会役員の副会長の仕事の一つに、全校集会など全児童が集まるような会での司会進行がありました。
マイクを持って、人前に立って、みんなの前で話す。
もちろんそれなりに緊張はするのですが、出来ないことはないと思っていました。
ですが…
ある日の全校集会の後、同じく児童会役員を務める男子に、「声震えてたよ」と言われて、なんとも恥ずかしく、そっけなく受け流すフリをしながらも内心動揺している自分がありました。
そこからだったと思います。
意識すればするほど、震えずに話そうとすればするほど、声の震えは酷くなり、その度に恥ずかしくなり、でも、こんなはずはないという気持ちからさらに力みすぎて声が震える…
そんなふうにわたしの社交不安障害は定着したように思います。
でも、この時のわたしは、これが社交不安障害という名前がつくような症状だなんて思いもしなかったんですよね。
だから、親にも言えなかったし、先生や友達にもなんともないフリを一生懸命していました。
今思えば、それが更によくない方向へ持っていってだかもなと思います。
もっと、自分のこと話せてたらな、そんなふうに思います。
他にもいろいろ要因はあると思いますけどね。
それについては、またいつかの機会に。
もしこのブログを読んでくださっている方に、同じようなお子さんがいらっしゃるとしたら、もし、すこしでもそのような不安があると打ち明けられたら、ぜひ、向き合ってあげてくださいね。
では、今回はこのへんで。
itoさんの生活。with社交不安症#1〜ブログはじめ〜
はじめまして。
わたしは、12歳の頃から家族以外の人前では極度の緊張感と不安感があり、主に声が震える症状の社交不安障害と共に生活している、
アラフォー、既婚、子ども3人、パート勤務者です。
ここ数年、社交不安症を本気で克服したいと色々試している中で、
わたしのように社交不安症を抱えながら働いて育児や家事をしてっていう人って他にもいないのかなー。あー分かる分かるっていう同志がいたらな。
と思うようになってブログを始めてみることにしました。
せわしない日々の中、緊張感や不安感から頭のなかがゴチャゴチャするのにうやむやにしてしまってる感があって、それを日記のように記すことで感情を整頓させたいなと思ってるとこです。
毎日毎日、体が勝手に不安感緊張感を起こしてしまう。仕事に行くだけなのに、近所の人と話すだけなのに、子どもの授業参観に行くだけなのにー…なぜ?!
起こしたくて起こしているわけでもないのに、人前に出て何か発表することがあるわけでもないのに、それでも勝手に体は毎日毎日自動的に緊張してしまう。なーんかいつも不安が付きまとっている。
だけど、だからといってそれに負けたくないし、落ち込みたくないし、暮らしたいわー。
そんな葛藤と20年以上付き合ってきた処世術?みたいなことや、日々感じてること。社交不安障害になった経緯や現在の様子などを綴っていきます。
へー、ふーん、ってな感じでもお付き合いいただけたら幸いです。
では、今回はこなへんで。